【SS】香水塔
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- 日時: 2008/03/20 20:34
- 名前: 川流鐘音@世界忍者国
- 【SS】香水塔
少し早めの夕食をすませたソーニャとエミリオは、香水塔の傍に設けられた白いテーブルに着いていた。 紅茶を楽しみながら、今日一日で見学した迎賓館の印象深い所を語り合っている。 特に調度品や絵画については、造詣の深いエミリオからその逸話や、作者の生い立ちなどを聞いて感心している。 「そうなんだー。なんか芸術家って報われない人が多いね」 「そうだね。画家や音楽家は死後に評価される事が多いのは事実だね。科学者なんかもそうだけどね」 そこへ鐘音がポットをトレイに乗せてやって来る。 「お茶のお代わりはいかがですか?」 二人の仲睦まじい様子に微笑みながら、尋ねる。 「あ、ありがとうございます。お代わりお願いします」 ようやく視線をエミリオから外してソーニャがお代わりを頼む。 「じゃあ、僕もお願いします」 ソーニャの視線を平然と受け止めていたエミリオもお代わりを頼んだ。 「はい」 短く返事をして、ポットの紅茶を空になったティーカップに注ぐ。 紅い色がティーカップの白色を染め上げていく。 「ところで、何を話されていたんですか?」 紅茶のお代わりを入れ終わったところで問いかける。 「ああ、エミリオに芸術について教わっていたんです。こう、不遇な方多いねって」 ソーニャが暖かい紅茶を一口味わってから答える。 「なるほど、確かに芸術家には不遇な方が多いですね」 そこで、鐘音は軽く顔を上げて傍にある香水塔をちらりと見る。 「そういえば、この香水塔にもある芸術家の逸話があるんですよ。良かったらお話しましょうか?」 二人の仲を邪魔しちゃうかなと、少し遠慮しつつ聞いてみる。 「あ、興味あります。ぜひ、お願いします」 ソーニャが目を大きくして、好奇心全開で答えた。 「僕も聞きたいな。この香水塔には興味あったんだ」 エミリオも続く。 「では…」 ゆっくりと鐘音が香水塔にまつわる、ある芸術家の男の逸話を話し始める。
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その昔… 宰相府藩国が設立されると共に、この迎賓館も建てられていました。 他国の使節、王族を招く施設のため、莫大な予算を掛けて多くの建築家や芸術家が雇われました。 惜しげもなく掛けた費用のお陰か宰相府の設立と同時に迎賓館は完成しました。 ただ一箇所を除いて…
”香水塔”
この設備は迎賓館の誕生から遅れる事十一年の歳月を経て完成しました。 当時、唯一完成が間に合わなかったこの設備に、多くの人が作成に携わっていた芸術家を批判し、非難しました。 ですが香水塔が完成した時、その非難は全く無くなりました。 香水塔は噴水の水を香水に置き換えたもので、非常に豪華な設備です。 そして、この香水塔には独自の仕掛けも施されています。 ・時刻により自動的に流れている香水が切り替わる。 ・夜になると自動的に光が照らされる機能。材質が特殊な水晶のため、七色の光に包まれる。 ・内部にはオルゴールが仕掛けられており、一定の時刻毎に違う音色を奏でる。 ・さらに、機械仕掛けの人形が内部より出て、曲に合わせてある劇を演じる。 ・この劇は一日を通してストーリーが演じられる。 完成した時、その出来映えは多くの人の心を掴んで離さなかったと言います。
この香水塔の担当を任されたのは名も無い芸術家でした。 当時、あまりの慌しさに、さる高名な芸術家と名前が似ていたため、間違えられて依頼を出されていたのです。 最初はこの名も無い芸術家に、違約金を支払って断わろうとしたのですが、高名な芸術家は別の宰相府藩国設立を仕事を請け負っていたために、やむえずそのまま依頼されました。 簡単に試験した所、たいそう腕が良かったのです。 これなら迎賓館の設備として恥ずかしいものにはならないだろう。 そう判断され、名も無い芸術家へ正式に依頼されました。 彼は早速仕事に取り掛かりました。 この仕事のお陰で借金も全て支払うことができ、しかも材料などは糸目をつけずに高価なものを使う事が許されています。 芸術家として作品制作に没頭出来るのはこれが初めてでした。 彼はこれを機に名を上げて芸術家として成功したいと考えていました。 納期は幾分短かったのですが、彼はチャンスが無いだけで自分の腕には自信がありました。 寝食を削って彼は仕事に勤しみました。 そのため、驚く程のスピードで香水塔は作り上げられていきます。 しかし、その姿は現在のものとは形が違います。
なぜでしょうか?
実はこの時に作られていた香水塔は、彼自身の手によって破壊されたのです。 彼は自分のために全てを注いで制作に没頭していました。 ある時、彼の制作を邪魔する存在が現れました。 制作を行っていた部屋の扉が僅かに開いていました。そこから入って来たのでしょう。 暗闇を眼に宿し、一切の感情の無い髪の長い少女がいつの間にか背後に立っていました。 何をするのでもなく、ただじっとある一点を見つめています。 そこには、彼が香水塔の制作のために、資料として使っていた絵本が床に転がっていました。 時間が深夜だった事もあり、彼は気味悪くなって、大声で彼女を追い払おうとします。 しかし、彼女はまるで聴こえていないかの様に立ち尽くしています。 彼は仕方なく近づいて部屋の外へ無理矢理追い出そうとしました。
ガツン
暗がりに立つ少女に意識が行き過ぎていたのでしょう。 彼は絵本を蹴り飛ばしてしまいます。 その途端、驚くほどの絶叫が少女から発せられました。 「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」 彼は驚きたじろぎます。 彼女はしゃがみ込み、嗚咽を繰り返しながらぶるぶると震えています。 彼はどうしていいのか分からず、オロオロとするばかりです。
しばらくして、少女の絶叫が届いたのか、それとも深夜に居なくなった少女を探していたのか、彼女の保護者という人が現れます。 そして、しきりに彼に謝りながら、彼女を引き取っていきました。 彼は部屋に取り残されました。 そして、さっき蹴り飛ばしてしまった絵本を拾い上げ、しげしげと見つめます。 それは特筆するところの無い、無名の絵本でした。 イラストに描かれていた王子とお姫様を、香水塔に施す彫刻の参考にするために買った普通の絵本です。 内容は竜が攫ったお姫様を婚約者の王子が、森の魔女の難題を解き明かし、魔法の剣を手に竜を退治して、お姫様と結婚しました。 めでたし、めでたし。 という、なんの捻りも無い普通すぎる絵本です。 彼は起こった事を思い返し、一体何がどうなっているんだろうと考えましたが、結局何も分からなかったのでその日は休む事にしました。
翌日。彼は昨日の事を気にしながらも、香水塔の制作に励みます。 そして、そこへ彼女がまた現れました。 昨日は何か悪い事をしてしまった様な罪悪感を感じていた彼は、怒鳴って悪かったと彼女に頭を下げます。 しかし、彼女からはなんの返答もありません。 「この絵本が欲しかったのかい? 良かったらプレゼントするよ」 彼は昨日の絵本を彼女に差し出します。 しかし、彼女は無言のままです。 仕方なく彼女の足元に絵本を置いて、仕事に戻る事にしました。 しばらくは背後の彼女が気になっていましたが、たまに振り返ると、ただ突っ立ったまま足元の絵本を見つめているだけです。 邪魔しないならいいか。 彼は彼女の事を気にせず仕事に没頭しました。 何時間か経った頃、彼女の保護者が現れ、彼に頭を下げつつ彼女を連れて行きました。
そんな日々が何日も何日も過ぎて行きました。 最初は頻繁に連れ戻しに来ていた保護者も、迎えに来なくなりました。 しかし、彼はもう特に気にならなくなりました。 彼女が戦災孤児で、両親を亡くし、施設に引き取られ、凄惨な出来事から心を喪っていた事も…。 かわいそうとは思うが、自分を救うことでこっちは手一杯なんだ。 彼にはこのチャンスを逃すことなど出来ません。 彼女が邪魔しないのであれば、特に気にしなくていいだろう。 だから、彼は気にしなかったのです。
幾日もの時間が流れ、彼女は絵本を見つめる事から、座って彼の作業を見つめるようになっていました。 目に暗闇を抱いたまま、言葉も無く見つめていました。 ある時、進めていた作業の途中で絵柄が必要となり、彼はあの絵本を開きました。 そうすると、開いた絵本からオルゴールの音色が辺りに響きました。 彼はその時見たのです。 目の暗闇が音に切り払われ、彼女がふわりと微笑んだのを。 一瞬の事でした。しかし、彼は確かに見たのです。 彼女の微笑みを。
その日から彼女微笑みが彼の目に焼きついてしまい、作業の間もその微笑みが忘れられません。 どうしても気になって、何度も絵本を開いてみましたが、彼女は微笑んではくれません。 そのため、香水塔の制作が手に付かず作業は遅れていくばかりです。 彼はどうしてこんなにも気になるのだろうと考えました。 来る日も来る日も考え続け、ある日突然に思い出します。
深く深く記憶の底に沈んだ記憶…。
それは、彼が芸術家の道を選んだその日の事です。 彼には幼馴染の大好きな女の子がいました。 その女の子とはとても明るく笑う少女でした。 特に彼が描く絵や木彫りの彫刻を見ては優しく微笑んでくれました。 彼は、その少女の笑っている顔を見ているだけで、とても幸せになれました。 だから彼は彼女の微笑みが見たくてたくさんの絵を書きました。 しかしある日、彼女は知らない大人に遠くに連れて行かれることになりました。 彼は彼女と共に逃げだそうとしました。 しかし、彼女はにっこり笑ってそれを拒み、最後の別離の瞬間までその微笑みを絶やしませんでした。 彼女には彼の好意も、そして自分が行かなければ、大切な幼い弟や妹が餓えてしまう事を知っていたのです。
彼は闇雲にお金を貯めます。 大好きな彼女を取り戻すために。 金山での過酷な労働などをこなし、彼は大金を手にする事が出来ました。 数年の月日を掛けて貯めたお金を持って、彼女を取り戻すために会いに行きます。 しかし、彼が会いに訪れた時、彼女は不治の病に倒れ、命の灯が吹き消えようとしていました。 彼は泣きながら、彼女の命を救おうと持っていたお金を費やして名医に診せたり、高価な薬を取り寄せましたが、彼女の病を治す事は出来ませんでした。 死の床に着いた彼女は微笑みながら、一つだけ彼にお願いをしました。 「前みたいに、何か作ってくれない?」 彼は何年も手にしていなかった筆を握り、絵を描き始めます。 そして、故郷の野原を駆ける少女の絵を描き上げます。 「ごめん。前みたいに上手に描けない…」 それを手に彼女は優しくふわりと微笑みました。 「ううん。ありがとう。あなたの作るものが大好きよ。とっても大好き。もっと、もっと見たかったけどごめんね…」 彼女はそう言って息を引き取りました。 最後まで微笑みながら…。
彼はその後、彼女に最高の作品を捧げようと、芸術の道を歩き始めます。 しかし、いつの日にか生活に追われ、成功する事が全てになっていったのです。 それと共に彼女の微笑みを思い出す事無くなっていったのでした。 それが今、鮮やかに蘇ったのでした。 彼は自分の作っている香水塔を見ました。 そこにあるのは、虚栄心に満ちた彼のためだけの作品でした。 彼は、たまらずそれを打ち壊します。 そして、立ち尽くす彼女にお礼を言います。 「ありがとう。ありがとう…」
その日から彼は今までのものと違った香水塔を作り始めました。 幼馴染の彼女が微笑んでくれるそんなものを脳裏に描いて。 その様子を見ていた彼女にも変化が訪れます。 時折、ふわりと微笑む様になったのです。 その様子を見て彼は嬉しくなりました。 そして、ますます香水塔を作りこんで行きます。
こうして、作品を通して彼女と会話する様に香水塔は作られていきました。 しかし、丁寧に作り込んでいたために、未完成のまま作業期限を迎えました。 彼はこの香水塔だけはどうしてもきちんと作りたいと思い、迎賓館の責任者に頼み込みます。 代金は返す。それから完成しても報酬はいらない。ただ、最後までどうしても作らせて欲しい。そのためであったら何でもすると。 無理な頼みだとは分かっていましたが、どうしても作り上げたかったのです。 「分かりました。材料費以外は必要ないのであれば構いません」 迎賓館の責任者の答えは意外なものでした。 「えっ!いいんですか?」 思わず彼は聞き返しました。 「ええ、構いません。その代わり、いいものを作って下さい」 迎賓館の責任者は、暗闇に囚われた少女が、彼の香水塔と共に光を取り戻そうとしているのを知っていたのです。 そして、自分の力の及ぶ限り、この奇跡を守りたいと思ったのでした。 なぜなら、彼もまた香水塔に、大切な人を失った心の傷を癒されていたからです。
迎賓館が開館しても香水塔の完成は程遠いものでした。 彼は絵本を元に全てを注いで香水塔を作っていきました。 専門外のオルゴールも自らの手で作り上げ、香水の事も調べ上げ、作っていきます。 彼女もそんな香水塔と共に、徐々に心を取り戻していきました。 1年が過ぎた頃には、たどたどしく話す様になり。 2年が過ぎた頃には、彼には微笑む事が出来る様になり。 3年が過ぎた頃には、彼以外の人とも話せる様になりました。 そして、5年が過ぎた頃に彼女は施設から、養女として裕福な夫婦に引き取られていきました。
彼は、香水塔もそろそろ完成の時が来たのかもしれないと考えました。 しかし、ある晩の事、彼女が香水塔の傍でうずくまっているの見つけます。 彼女は全てを失った時の事を思い出し、それから逃げるように彷徨い、ここに辿り着いたのでした。 深く刻まれた暗闇は未だ晴れてはいなかったのです。 ですが、香水塔の傍で泣きつかれ、安心して眠る彼女の顔は微笑んでいました。 彼は、さらに香水塔をもっと作り込む事にしました。
機械仕掛けの人形を作り、オルゴールと連動させたり、自動的にライトアップされる様にしたり。 引き取られてからも毎晩の様に訪れていた彼女も、香水塔が出来上がるにつれて訪れる回数が減って行きました。 6年が経ち、夜に訪れることが無くなりました。 8年が経ち、毎日香水塔を眺める事で、安らかに眠りにつける様になりました。 10年が経った頃には、時折、彼を訪ねて来るだけとなりました。 そして、最初に彼女と出会って11年の月日が経った時、彼女は結婚する事になりました。 彼は自分の仕事が終ることを悟りました。 彼女から結婚する事を聞かされた日、一晩を掛けて香水塔を完成させました。 そして、彼女宛てに短い手紙を書いて、荷物をまとめ迎賓館を後にしました。 手紙には、「いつまでも微笑みの絶えない君の幸せを願って」と書かれていました。 彼女は必死になって彼の行方を捜しましたが、とうとう見つける事は出来ませんでした。
その後、この香水塔は公開され、多くの人に絶賛されました。 しかし、この香水塔はある名も無き芸術家が、亡くなった幼馴染と自らを取り戻させてくれた少女のために作られたものなのでした。
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「ちょっと長くなりましたが、これがこの香水塔にまつわる逸話です」 鐘音は語り終え、二人の様子を伺った。 「そっかぁ、この香水塔が素敵なのはそういう事だったんですね」 ソーニャが冷めてしまった紅茶を一口飲んで答えた。 「そうだね。芸術家が不遇だったかどうかなんて、評価された、されていないとは関係ないんだね」
エミリオは何か感じるところがあったのか、独り言を言う様に呟いた。
その時、オルゴールの音が響き、香水塔の中から王子と姫が踊りながら現れた。 そして、結婚式の様子を描いた彫刻が塔の表面に現れ、香水の色が青色から桃色へと変化する。 それとともに光が照らされ、香水塔が七色に輝いた。
「わぁ…」 言葉を詰まらせ、ソーニャは香水塔に魅入っていた。 エミリオもまた、言葉も無く香水塔を見つめている。 その様子を見て、鐘音はそっと席を外した。 これからは恋人達の時間なのだから…。
<了>
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