【魔法の定義】
○魔力と魔法の基本定義
魔力とは
魔法の源、エネルギー源である。魔力は高物理では細かい模様の集まり、あるいは情報集積体として認識される。HDDでも細胞のDNAでも、本来的には魔力になりうる。
とはいえ魔力にするのは難しい
どんなものでも魔力になりはするのだが、実際に魔力として引き出すのは難しい。分解して魔法をつかうためのエネルギーにするために変換術式が必要で、この変換術式を作成するのが異様に大変で、しかもわずかな変化で別式に変わってしまう。
魔法とは
魔法とは魔力を変換して別の何かにする術式である。情報を別の力に変換するのが魔法と、言える。この変換が行われると情報は散逸してしまう。一回しか使えない魔法の巻物とか生贄などはこれである。
術式の限界
魔法は魔力を変換する術式であるが、この時どんな魔力媒体をどのように変換するかを記述せねばならず(A式)さらに変換した効果を記述しないといけない(B式)この二つの式がないと不完全術式となる。不完全術式は世界を壊しうるので作ってはいけない。
変換効率
魔法には変換効率があり、通常は1%もない。これはA式、B式両方で変換前、変換後の厳密な定義記述が必要なためである。水の変換術式では人体内の水分は扱えないし、それどころか川の水しか使えない、などありうる。汎用性の高いA式は変換効率が悪いわりに長くて複雑な式になる。
〇信仰と盟約魔法
信仰とは
信じて仰ぐことを信仰という。信じる事、尊敬すること、そしてこれらについて条件を持たないのが信仰である。信心は信じる心でこれまた文字の通りである。
差別の理由にはならない
信仰は信じて仰ぐだけにしかすぎず、それがあるからと言って強くなったり悪くなったりするものではない。信仰を差別の理由にしないのはそういう背景がある。
意味と力
信仰は似せる力を持つ。あるものに対して信じて仰げばそりゃ色々リスペクトを受けて似てくる部分もあるわけである。努力をなせばなおさらそうである。信仰自身に力はないかもしれないが、そこにあってそうあろうという意志と努力は実在するし、そこに力が発生する。
斜め上に
信仰の効果はだいたい斜め上にでてくる。野球の神様を信仰していても野球がうまくなるとは限らないが、野球場に足を運ぶことは確実に増える。信仰の結果は完全対応するわけではないのだ。
儀式
信仰には儀式や行事がついてまわるもので、どうかすると信仰そのものが消えても儀式が残ることはある。しかしそれを嘆くことはない。信仰が根付くとは、誰もが意識せずに従うことである。それが信じることなのだ。
ニューワールドでの信仰
ニューワールドでも信仰は盛んにおこなわれている。特に規制があるでもなく、人々も知的種族もめいめい勝手なものを信仰している。
神、精霊、オーマ、仏……
信仰の多くが大いなる力を持つものになるものである。ニューワールドでも現実と同じく神、精霊、オーマ、仏、なんでも信仰対象になり、それらの実存や能力、名前にかかわらず信仰される。(信仰できる)これらにそれぞれの力の差はない。
複数をあがめるものもいる
信仰を複数持つものもかなりいて、ニューワールドでは古代、もしくは現代さながらの多神教時代である。魔法が実存するニューワールドではなおさらであった。盟約魔法があったのである。
〇盟約魔法とは
盟約魔法とは
盟約魔法とは魔法の一つでA式、B式の記述、運用代行に信仰対象を用いることを言う。正確には、お願いして代わりに魔法を使ってもらうことを言う。
盟約魔法は盟約を結ばないといけない
盟約魔法は盟約を結ばないといけない。通常は信仰対象の要求に答え、安くない代価を払って盟約を結ぶ。代価を払ってない、または払い続けていないと当然盟約魔法は使えなくなる。
盟約魔法は信仰対象の力が届く範囲でないといけない
当たり前の話しながら、盟約魔法は信仰対象の力が届く範囲でないと行使することが出来ない。世界が違っても力が届くような存在は当然要求する対価も高くなる。
加護
盟約を結んでいなくても信仰対象が力を貸すことがある。これを加護、という。加護は一方的であって狙って得られるものでもない。
盟約魔法が使えない信仰対象もいる
考えがあったり実存がなかったり、単純に力がなかったりで盟約魔法が使えない信仰対象もいる。盟約魔法の有無そのものは信仰といささかの関係もない。
神殿の強さが信仰対象の力になる
神殿の強さは一般に信仰対象の力になり、また力の及ぶ範囲を規定することにもなる。神殿が強力なほど、遠くまで力は届く。
信仰の強さ、信徒の数が信仰対象の力になる
一般論として信仰の強さや、信徒の数が多いほど、信仰対象の力になり、遠くまで力が届き、盟約魔法も強くなる。