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イベント/09/その頃のI=D工房

その頃のI=D工房

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 深夜にも関わらず全藩国に超光速通信で発布されたテクニカルリードアウトを隅から隅まで熟読しながら可銀は、ようやく技族の出番が回ってきたと心を躍らせていた。書類から目を離して周りを見渡す。工房は忙しそうに人が流れていた。この夜遅くに起きているのは可銀だけではない。工房中のスタッフが今日という日を待ち望んでいたのだ。

 工房は地下から屋上まで煌々と明かりが灯っていた。これから可銀が不眠不休で図面を引き、それと同時並行で数十人のスタッフが構造計算、プロトタイプ試作、物理的衝撃耐性仮想シミュレーション、コストと強度の折衝など、ありとあらゆる作業を進めるのだ。国の技術力をニューワールドに知らしめる絶好のチャンスなのだ。一分一秒が惜しかった。

 ゆらり、と可銀が立ち上がる。そばにいた数人のスタッフが立ち止まって、彼の次の一言を待った。皆、あらゆる準備が整っていた。さあ可銀さん、我々に指示を!

「……そういえば、この蜘蛛、名前決めてなかったや」

 全員がズッこける。蜘蛛というのは藩王から頂いた子蜘蛛の事である。年初に賜って以来、頭の上に乗せて可愛がっている。その為か、蜘蛛嫌いの月代や凍矢は工房に近づかなくなった。スタッフの一人がよろめきながら進言する。

「可銀さん、他にも重要な事があるでしょう」
「名前は重要だよ?」
「いやそうではなくてですね、I=Dの設計の方でなにか……」
「ん? あ、そうだ! あったあった!」

 スタッフの顔が輝く。さあ、今度こそ指示を!

「あのさ、頭のデザインなんだけど、やっぱ猫顔がいいかなあ?」

 皆、更に盛大にズッこける。

 スタッフは可銀の優秀さと性格をよく知っている。本人が真剣だと分かっているから、こちらも真剣に対応しなければならない。深夜に行われる誰も見てないコント、これはそういう連帯感であった。

「いやあの、だからですね。他にも重要な……」
「顔は重要だよ?」

 同じ問答が繰り返されそうになった時、可銀の猫士、ろい=ばうにゃんが猫状態で可銀に抱きついた。ばうにゃんを抱き寄せてぎゅーする可銀。すると子蜘蛛が嫉妬したのかばうにゃんに攻撃を仕掛ける。可銀の頭上で主人の恩寵を賭けた(?)決闘が始まる。サイズ的には子蜘蛛の方がちょっと不利である。

「二人とも、やめ」

 2匹を頭からおろそうとした所、タイミング悪く、猫と蜘蛛のストレートパンチが両方とも可銀の頬を直撃した。ぶっ倒れる可銀。情景をスケッチするよう命を受けたカヲリ宮廷絵師はその光景に腰を抜かした。しかし、同時に一つの事象を見逃さなかった。顔から地面に激突しながらも、可銀は猫も蜘蛛も手から離さなかったのだ。

「可銀さん! 大丈夫ですか!」

 スタッフが駆け寄る。

「だ、大丈夫だよ……」
「思考は! インスピレーションは飛んでいませんか! 新I=Dのコンセプトは失われていないでしょうね!」

 ちょっと薄情な奴らだなと可銀は思った。

「頭より下の部分は、もう出来てるよ。僕の部屋の机に資料一式用意してある」
『早く言えよ!!』

 スタッフが合唱すると同時に大急ぎで階段を駆け上がって行く。可銀は起き上がり、一人腰を抜かしたままのカヲリを助け起こすと、目下の重要課題に戻った。猫頭のデザインと、小蜘蛛の名前であった。蜘蛛を頭に乗せ、猫は足元に下ろして首筋をなでてやる。ばうにゃんはにゃうーんと鳴いた。

「そういえば、お前に初めて会ったのは夜中だったなぁー」

 小蜘蛛に話しかける。聞いているのかいないのか、小蜘蛛は微動だにしない。可銀は窓を空け、夜の風景を見渡した。不思議と、寒さは感じかなかった。

「夜… 月? 星空?? んー」

 なんかピンと来ない。もっと大きくて、深い色を持っていて……。

「……夜空。夜空さん?」

 一日の半分、国を覆う漆黒こそ、この小さな生き物に相応しい名前ではないだろうか。

「夜空さーん」

 小声で小蜘蛛に呼びかける。ぴくぴくっと脚を振った。悪くないっぽい。可銀は上機嫌でくるくる回った。と、その途端。

「思いついた! 頭のデザイン! 早く書かないと!」

 可銀は目を輝かせて図面台に飛びつき、猛烈な勢いで線を引き始めた。こうなるともう何も聞えない。

 カヲリは、ゆっくりと立ち上がり、音を立てないように入り口に向かった。扉を閉める時に振り返り、主人の足元でぴんと背筋を立てて座っている猫にじゃあねと手を振った。

「にゃうん」と猫は答えた。


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Last modified:2007/01/09 23:50:32
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References:[組織/開発局/中央整備工場] [イベント/09]