イベント/09/世界忍者国の戦争準備状況
世界忍者国の戦争準備状況
星がひとつ、ゆらりと輝きを変える。
川流鐘音は、夜空を見つめていた目を手許の記録へと落とし、大きくひとつ息をついた。
藩国内最大の観測施設である、第十五夜間専用天文台。 夜ごとに星見の民が観測に従事するその場所はこの日、平常とは異なるざわめきをたたえていた。
戦が、始まる。
共和国各藩国の動向は、この国の優秀なる猫忍たちによってもたらされていたし、また、その兆しは星見司たちの読むところでもあった。 そして、共和国尚書省による戦時動員の発令。
はじまってしまうのだな。
先般の戦にも出陣した鐘音にそれは、新たな決意を試されるような緊張をもたらしていた。
「…はじまるのですね」
いつの間にか隣に立った環月怜夜が、その心を読むように呟く。 忙しく駆けまわる観測員たちに指示を出しながら、彼女もまた、遠い星空を見上げる。 藩国の守り手たる騎士団を束ねる任の合間を縫って、星見司としての責を果たすため、彼女もまた足繁くここを訪れている。
「みはえる情報局長は、どちらに?」
「藩王と氷野凍矢摂政と共に、会議をされて…いや、猫忍の合議だったかな」
今日の報告は後回しだな、と手許の資料を繰りながら考える。観測部門からの情報は収束し、予測を結びつつあった。 この国の中枢を司る人物は、大概が併せて任を持ち、そのすべてを滞りなく進めるために皆、奔走している。 情報収集と医学・工学を国の技として持つが故に、こと戦の準備となれば、その想定するべき範囲はこの国の森のように広い。
しかし、さすがは忍びの国と言うべきか、その慌ただしさは国を統べる者たちの胸の裡にだけ存在し、民の無用な混乱を避けることに成功している。
「新型I=Dの設計は、進展しているかな」
「技手の方々が工房に詰めていましたよ」
そういえば先刻通りかかった王立整備工場からは、可銀の悲鳴とも笑い声ともつかぬ声が漏れ聞こえていた。
カヲリと榊朱利が恐る恐る、といった様子でのぞき込んでいたが、やがて観念したように入っていった。技手たちもまた、夜を徹して働くのだろう。
見慣れた窓に切り取られた、夜が告げるもの。 それは勝利か、それとも…
「戦うだけだ」
決意を込めたその言葉の続きを、微かに聞こえる響きがさらっていく。
ふと、耳を、澄ます。
/ * /
「…燃料が8万t、資源が合わせて10万t、と…」
どこからか流れる声に、片耳だけわずかに傾けながら、赤の騎士団副長・白金優士は備蓄のチェックに励んでいた。 先日の国民たちの活躍で、一時は潤ったかに見えた国庫も、戦時動員への供出でふたたび大規模に減ってしまった。
「分相応、というものだろう。少なくとも我が国の民を養うには充分だよ」
傍らで数値をのぞき込むみはえる摂政が、呑気にも感じられる口調で淡々と言った。
「無論。この程度では何を諦めるにもあたらないでしょう」
口元に不敵な笑みを浮かべ、応える。
「そうだ、昼の炊き出しの様子はどうでしたか」
幸いにも食糧に恵まれた状況にあったため、戦争の準備に尽力する国民の意気高揚と労いの意を込めて、この日の日中には炊き出しが行われていた。
「ああ、それはもう…」
心なしか遠い目をする、みはえる。
/ * /
「あったかいご飯ですよ〜」
「何はなくとも腹ごしらえだ。健康第一!」
「…いや、忍者って保存食で食いつなぐんじゃなかったでしたっけ?」
「細かいこと言うな。食え」
「あーっ、猫士様が私のご飯とった!」
「そこ、本気で爪を使うんじゃないっ。ああほら、口にくわえたまま木に登るな。少しは礼儀というものを心得ろ。そっちは…」
藩王が振り向くと、大木の木陰でおにぎりをむさぼり食い、あるいは満腹になってごろんと丸くなる騎士団の面々が…
「食ってないで、手伝え〜っ!!」
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/ * /
「それはもう美味しかっ…いや、抜群の効果だったよ。士気は確実に向上しただろう」
そして恐らくは同じくらい、藩王の血圧も。
「何よりです。ああそうだ、中央病院から資材の請求がありましたが、あれは」
「さっき使いを出した。ここはもう、一段落だな」
扉を締めて見上げれば、鬱蒼と茂る暗い緑の彼方に夜空。緑も闇も、この国の民にとっては親しい友であり、心強い味方でもある。
その合間を流れるように、ひとすじの…歌が。
「誰の声でしょう、これは」
「彼女ですよ。…ああ、ずいぶん上手くなった」
次の任務へと走りだす束の間、2人と森は、ただ穏やかに耳を傾けた。
/ * /
「…で。なんですか、これは」
「もちろん食糧です」
緋乃江戌人は、にっこりと微笑んだ。
「えー、確認させていただきたいのですが。戦時準備のためこの中央病院にも医療資材や食糧の備蓄を行う必要があり、そのための物資をお願いしていたと思うのですが…」
「ですから、食糧です。これが」
運搬を手伝った久堂尋軌は、まだ肩でぜいぜいと息をしている。 確かにそれはひどく大量で、戦によって患者が増えたにしても、まかなって余りある量ではある。ある、が。
「…ケーキ、に見えるんですけど、これ」
戌人のあまりに堂々とした態度に気圧され、なんとはなしに小声になる逢瀬みなお。 途端、戌人の気配が一変する。微笑みは消え、真顔になる。
「いえ、あの私、この地に来て日が浅いもので…」
ここではこれが一般的な保存食の形態なのかもしれないと、言い訳をはじめるみなおに、戌人が真顔のまま一歩迫る。
「これがケーキに見えますか」
「いえ、はい、すみません…」
「その通りです」
「…は?」
「大丈夫、意外とおいしいんですよ。その点は保証します。では」
しゅたっと挨拶の手を挙げると、隣接する整備工場へと去っていく戌人。慌てて見渡すと、既に尋軌の姿はない。さすがは猫忍である。
「ケーキ、ねぇ…」
端の方をひとかけ、口にしてみる。確かに美味しい。よく焼きしめてあり、保存にも耐えそうだ。
ま、いっかと納得し、保管庫に運んでもらうよう通りかかった者に頼む。 何にせよ今は、迷っている場合ではない。いかにこの国の民の多くが、おしなべて優秀なマルチフィクサーであるとはいえ、使える手は多ければ多いほどいいのだ。
/ * /
「急患です、お願いします!」
その喧噪のリズムに乗って、正面玄関から駆け込んできた影がひとつ。いや、まるくもうひとつ。
「はい、いま受付を…って、鐘音騎士?!」
床にへたりこんで丸まった背中が、小刻みに震えている。汗ばんだ額に触れるまでもなく、熱が伝わってきた。 すぐにベッドを、そして腕利きの医師をと、焦る素振りもなく迅速に手配の進む様を見て、ここまで担ぎこんだ怜夜団長はふと、安堵を覚える。 がんばってるじゃないか、皆。民の準備は万端だ。
ただ…廊下の奥へと運ばれていく鐘音騎士のことだけが気がかりだった。あんなに突然、高熱を出すなんて。
「慣れないシリアスなんか、するからですよ、もう」
/ * /
森は、眠りの静けさに包まれている。
あらゆる事態を想定して、物資を集め、技術者たちはカンファレンスと作業をくり返し、来るべき時に備えた。 それでもどこか、その静けさから沸き立つように、焦れるような不安が夜に混じる。そんな頃に。
働く者は、はじめはそれを幻のように聞いた。知らず、耳を傾ける。 眠る者はそれを、あるいは夢の中に聞いたかもしれない。
静かに夜を縫う、響き。
「♪しっぽ しっぽ しっぽアンテナ…」
月代由利は、遙か空を指す藩国の象徴・ロイ像の隣に腰かけて、歌っていた。 この国の民にとってもっともメジャーで、親しみのある歌。 それはやがて来る戦の日々の中で、民の頬に笑顔を取り戻し、どこまでも諦めずに向かう勇気を育てるだろう。
ひとつの命と、それを包む世界を、共に守るために。 一心不乱の、友情のために。
/ * /
長い雌伏の夜をこえ、持てるすべての力をたたえて、世界忍者国は戦に向かおうとしていた。
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